お前はそうやって、
その小さな窓から牢屋の中の俺を見下して
勝ったつもりになっているのかもしれんがな、
俺は知ってるぞ。
お前は外にいて
自由に自分のしたいように出来る、
わけじゃないよな?
なんだかんだとしがらみに邪魔されて、
見えない何かにとらわれ続けている。
俺から見ればな、
お前も結局
牢屋の中なんだよ。
だけどな、
俺のことを邪魔する奴は
ここにはいない。
俺は何にもとらわれてない。
皮肉なもんだよな。
自由にできるはずだと思うと、
とらわれる。
自由にできないと悟ると、
とらわれがなくなる。
そう思わねえか?
ええ?
ミスター自由人さんよ。
そう考えながら
もう一度、
俺の目を
しっかりと
よく見てみろ。
…っていう感じのことを言いたげな、
何とも表現し難い目つきをした
よくわからない状態に陥っている
お兄さん?らしき人の画像。
まあ、
とらわれがなく、
自由である。
ということは間違いなさそう。
今回の記事は特に深い意味は
ありません。
苫米地式「幸せ脳」のつくり方-「本当の自由」を手に入れる いちばん簡単な方法 (East Press Business)
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