当サイトの前回記事は
「 氷河期世代(失われた世代)よ、後10年!頑張ろう! 」
ということをお伝えしたのですが、
途中で色々と考えをめぐらすうちに
やたら長くなるだろうと思い、
途中ではしょったせいで
本当に伝えたいこと、
大事なことが表現できていないと反省しているところです。
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伝えたいことの一つは前回記事でくどくど表現した
バブル世代とそれを放置したその上の世代に対する恨み節で、
これは十二分以上にお伝えすることができたと思うのですが、
さらに本当に伝えたいことは、
この状況
「 バブル世代の雇用状況を継続したことによる
企業内の人員構成のアンバランス、
これによるその下の世代(氷河期世代)が被った損失と
不況の泥沼化 」
が発生した原因は何か?
の方がもっと大事で、
それを今回皆さんと一緒に考えたいと思います。
今回はタイトルの失敗に対する不寛容の功罪と、
それと連動する内容が年初に出た以下のニュース記事です。
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https://forbesjapan.com/articles/detail/19211
大型旅客機の墜落事故、2017年はゼロ 「史上最も安全」な一年に
(2018/01/07 08:00 on Forbes Japan)
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このニュース記事に関しては
単純にこの45年で航空機事故による死亡者数が
大幅に減少している、
という客観的なデータを示しているものなのですが、
その理由は
そもそも航空技術が発達したから、
というのが大きいですが、
それ以外にも、
「 航空機事故におけるパイロットの
刑事上の責任は問われにくい 」
ということが挙げられるのではないかと
筆者は推測しています。
理由は二つ、
(1)航空機事故はパイロットのせいだけではない
航空機運航は
・航空機メーカー(機体設計)
・航空機メーカー(制御システム設計)
・整備士
・管制担当(人員)
・管制担当(管制システム設計)
・他の航空機の上記要因
…等々、
多岐にわたる要因が関連しており、
パイロットの責任のみだけで発生するものではない。
(2)責任追及もさることながら事故の再発防止が重要
事故の再発防止のためにパイロットの証言が必要になり、
下手に事実を隠蔽されるとその後の不利益につながる。
つまり、
「 事故の再発防止に協力しなさい!
失敗があっても大きくは問わないから! 」
と一定の「寛容さ」を認めている、
ということが挙げられると思います。
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新幹線「重大インシデント」はなぜ起きたのか
台車に亀裂発見、考えられる原因は?
(2017年12月14日 on 東洋経済 ONLINE)
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さて、航空機事故ではパイロットの刑事上の責任は問われにくい、
という話を例示しましたが、
今回皆さんと一緒に考えたいケーススタディは
最近話題の新幹線の「重大インシデント」
(事故発生につながっていたかもしれない事象、
よくいう「ヒヤリ・ハッと」)
です。
さて、この件について、
大げさなようですが、
我々はどのような態度でいるべきなのでしょうか。
(この時点ではまだ運転士には
責任がではないのは当たり前ですが、
JRという企業に対して、という考え方で。)
つまり、失敗(失敗が起こりそうな状況を含む)に対して
・寛容を採るのか、
・不寛容を採るのか、
はたまた第三の道として
・「 無視を決め込む 」のか。
普通は簡単に決めかねる、つまりジレンマを感じると思います。
不寛容策を採る。
(有利)そもそも失敗の発生が抑制されるかもしれない。
(不利)関係者が自己防衛に走り再発防止策の策定が阻害される。
寛容策を採る。
(有利)事実をありのままに話し、再発防止策が良くなる。
(不利)別に怒られないなら適当にやれば良いじゃん。となる。
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第三案の「 無視をする。 」
当事者でなければある程度これで済むような気もするのですが、
報道のあり方に対して支持・不支持という形で
間接的に関わっているということも言えます。
また、同じジレンマを
・自分の子供
・自分が会社で管理すべき関係者
・自分の子供を通わせる学校での教育方針
等々、身近な例にそれぞれ当てはめた場合、
当然無視できない、判断を迫られる場面があります。
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日常生活の中で判断を迫られたとき、
対象者に対して
・性善説で見る
・性悪説で見る
を前提として判断をしています。
人間は実は物事を性悪説で見るのが自然なのではないか、
と筆者は想像しています。
「 それはあんたが性悪だから。 」
と言われると、なかなか否定ができませんが、
一応その他にも根拠はあって、
人間は未来のことを想像できる能力が高く、
言い換えれば未来のことを想像する能力が高い
DNAが残って進化してきたとなります。
未来のことを想像する時、
(1)楽しいことを想像してセルフモチベーティングする
と
(2)悪いことを想像してリスクを回避する
を比較して、
(1)はリスクテイクを行って「大きく当てて」大金持ちになる。
だけど、失敗したらすべてを失ってDNAを残せない
(2)はリスクヘッジを行って「大きく当てることはない」が、
一般大衆として生き残ることができる。
つまり、
(2)のDNAの方が生活・生命を維持できて生き残り易いため
世の中一般は「性悪説」の人が多く、無難に行動することが多い。
(ここでは、その良し悪しの議論は割愛)
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交通事故が今の程度で済んでいるのは、
そもそも人間のことを信じていなくて、
ルールでガチガチに縛りあげ、
「 守らなかったら免許取り上げ!
場合によっては交通刑務所にぶち込む! 」
としているから、
ということもできると思います。
飲酒運転を厳罰化したから飲酒による事故が減った、
と言われていますが、
これは性悪説に基づいて人間を信じない、
ということの「 たまもの 」でしょう。
交通事故なんか再発防止策も何も、
ともかく事故を起こさせないことが大事。
良く知っていると思ってるつもりでも
自分以外の人間、
もしかすると自分自身のことについても、
性悪説で判断してしまい、
失敗をしないように誘導することが多い。
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ただ、筆者が最近、
非常に大きくジレンマを感じているのは、
前述の
「 自分の子供に適用 」
した場合、
どうするべきかが判断がつきかねる、
という部分です。
現代社会において、
リスクヘッジを行わないと
たちまち生命の危険にさらされる、
というようなシーンは少なく。
まあ、極論を言ってしまえば、
DNAを残せなくっても、
良いっちゃ良い。
(これを言っては
文字通り元も子もないですが。)
また、経済的な観点からも、
安定成長期ではない場合は、
一定のリスクテイクを行わないとダメ!
というようなこともここ10年位は
メジャーな理論になっていると思います。
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さて、タイトルの
「 失敗に対する不寛容の功罪 」
に関して、くどくどと記事を記載してきましたが、
結論を言いますと、
「 分からない 」
寛容、不寛容は状況によって決める、
が結論ではあるのですが、
それってつまり、
「 分からない 」
と同じ意味ですね。
不寛容の本質 なぜ若者を理解できないのか、なぜ年長者を許せないのか (経済界新書)
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