世の中で最も残酷なことは
すべての人間の言い分が正しいということだ。
どちらか一方が正しくて、
どちらか一方が間違っている、
という単純な話なら、
世界から戦争はなくなる。
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「正しさ」は往々にして
その人間が属する文化によって異なる。
つまり、正しさの尺度が人間によって異なる。
簡単な例を出すと
日本と中国では「正しさ」が異なる。
もっと身近で極端な例を言えば
同じ町内でも、
隣の家同志でも、
同じ家族の中でも、
「文化」が異なると「正しさ」が異なる。
同じ文化に属するはず、と思っている人間同士
(例えば同じ会社の社員)でも
世代が異なれば文化が異なることはあるし、
逆に世代が同じでも異なる文化
(例えば優等生と不良)ということもある。
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自分の「文化」「正しさ」だけで世の中を見れば
程度の大小はあれども、
自分の周りすべてが間違っている、
ということになる。
そんな状態になると
息苦しくストレスになり、
怒りを覚えることも多くなり
場合によっては
「物理的な争い」
になることもあり、
とても生きづらい。
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既に文中に何度も使った
「文化」の違いを認め、
「相手の行動は相手の文化では正しい」
と考えることである。
つまり、
「中国人は(商取引上)ずるい、卑怯だ」
というのではなく、
「文化が違う、相手はああいうやり方が
正しいと思っているんだ」
と認識し、
感情的に自分の尺度で
「正しい・間違っている」
ということを考えない。
また、毎日の通勤電車でマナーが悪い人がいたとする。
「同じ日本人なのに礼儀知らず、育ちが悪いやつだ」
なんてことは考えずに
「ああ、文化が違う人なんだな」
と考える。
そして、自分の文化を相手に強要することはしないし、
相手からその人の文化を強要されることがあっても軽くかわす。
「そばをすする音が気に食わない」
として「ヌーハラ」だとか言う人がいるらしい。
(ごくごく小さな事象をメディアが面白可笑しく
過大に伝えているだけの話だとは思うが)
そりゃ、そばをすする音が嫌いな人もいるでしょう。
しかしこれも要するに、
単純に「文化の違い」に関する許容の問題である。
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「ただし」が付く。
ルールとして明文化されている場合、
または、日本国の裁判所が判断を下した場合は
それに従わなければならない。
労働契約に基づき雇用され会社に属すなら、
従業員は就業規則に従わなければならないし。
上司、部下の関係なら一旦は命令に従わなければならない。
※命令の内容が明らかに公序良俗に反する場合は
裁判所に判断をゆだねることもある。
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「 えっ?このGIFアニメ、
本文とどういう関係があるの? 」
と思った読者の方。
関係があるようで、
実は全く関係がありません。
先週の週末に春節祭の後祭りみたいな時期に、
神戸元町の南京町にお出かけし、
駐車場から南京町までの間に歩いた
元町商店街の中にあるフクロウカフェと
そのお隣にある焼き鳥屋さんの写真です。
「 このGIFアニメは悪意があるでしょ!? 」
いや、それは文化の違いじゃないですかね!?
色んな意味、色んな切り口で。
その南京町食べ歩きの記事はまた後日掲載予定です。
異文化理解力――相手と自分の真意がわかる ビジネスパーソン必須の教養
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