羽生善治に学ぶ
本シリーズ『【教育方法論】失敗を良しとする教育』では、
以下のような記事を作成しました。
(前編)坂本龍馬暗殺に学ぶ
http://www.hazemixeddays.com/2019/01/blog-post_7.html
坂本龍馬は行動や考え方からADHDだったと推測され、
成功までに発生するだろう障害に恐怖を感じないから
大きなことを成し遂げることができた。
その他大勢の凡人は坂本龍馬の真似をして
大成しようとしても坂本龍馬の性質は
先天的なものであるため土台無理かもしれない。
(中編)想像力の欠如こそが成功への第一歩かも知れない。
http://www.hazemixeddays.com/2019/01/blog-post_10.html
昨今ネット上で「炎上」ということが
よく問題になっているが、ある学者によると
「発言する人に想像力が足りないから炎上しちゃう」
らしい。
これに対して筆者は炎上を気にして黙っているより、
炎上してでも発言する方が成功に近づくと考えている。
つまり、下手なことを想像
(これを言うと嫌われるかも等を気にする)して、
全く行動が起こせないのであれば、
何にも想像せずに行動する方がマシだと。
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アスペ、ADHDの人がよく言われるように、
「空気が読めない」というような人こそ、
他人にどう言われるか、
他人にどう思われるか、
というようなことを気にしない傾向が強く、
炎上しようが途中に障害があろうが
一直線に走り続けることができ、
目的さえ定まっていれば
大きく成功することができる、
としました。
で、その他大勢の一般の凡人は
大きく成功することができないのか?
というと、そうではなく、
ある訓練を行うと可能なのではないか、
と筆者は考えています。
「失敗を良しとする教育」であり、
具体的なメソッドとして今回の記事
(後編)羽生善治に学ぶ
で皆さんと一緒に考えてみたいと思います。
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羽生善治とは言わずと知れた天才棋士です。
上のGIFアニメーションは
まあ、
若干の悪ふざけが匂うようなものですが、
実は羽生善治の
「強さの秘訣」
が隠されていると思います。
というのも、
羽生善治は何回かに一回、
「負けてもいい」
と覚悟を決めて
本番の対局中にわざと変な手を指して
ピンチに陥るそうです。
なぜか。
真剣勝負の本番の中で追い詰められ、
その状態から必死にリカバリーすることが
何よりも訓練になるからだと。
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筆者は社会人経験十数年の、
まだまだ若輩者ですが、
最近以前と比較し仕事が少し
楽になってきたように感じています。
これはあんまり大きな声で
言うことではないのかもしれませんが、
いい意味で「いい加減」に出来るようになったというか。
システムエンジニアという職業柄、
『プログラムのバグは一つも本番に上げない
(システム稼働時にバグを0にしておく)』
『常に最高の効率でロスなく作業を進めなければならない』
『今日できることはすべて今日やっておく』
等々シビアにやってきたのですが、
それらにとらわれ過ぎて
先々の不安を想像し過ぎて転職を繰り返したり、
心療内科にお世話になるようなことになったり。
ところが最近は手を抜くというほどではないのですが、
例えば2回確認をしなければ気が済まなかったことを
1回の確認で済ませるとか、
会議資料の準備を
「まあ、こんなもんで大丈夫かな!?」
と見切ってみたり、
時々わざと
「不安だけど、不安なままにしておく」
ということをやっています。で、そのまま乗り切ると
「やっぱり大丈夫だった」
と自信になる。
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こういうことを真面目な人は
「いや、そういう風に
いい加減に乗り切ると変な成功体験になって、
だんだん自分の能力が下がって、
仕事の精度が下がっていって、
しまいには大きな失敗につながるんじゃないの?
やっぱり毎回毎回完ぺきに確認して、
完ぺきな状態を保たないと。」
と考えてしまうと思います。
これは確かに正しい理論であるし、
難しいところではあるのですが…
ただ、よくよく思い出してもらいたいのが、
皆さんは本当に完全無欠の完ぺきに
今までの人生をこなしてこられましたか?
実は、まあまあ危ないシーンもありつつ、
何とか無事にやってこれている、
ということもあるのではないでしょうか。
「完ぺきを目指そうとした努力が
今のあなたの基礎を形作っている」
ということは間違いないのですが、
「完ぺきな準備ではなかったけれども
何とか乗り越えてここまでたどり着いた」
ということも、
それと同じくらい重要な要素だと思います。
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また、彼は以下のようなことも言っています。
何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、
誰でも必ず挑戦するだろう。
報われないかもしれないところで、
同じ情熱、気力、モチベーションをもって
継続しているのは非常に大変なことであり、
私は、それこそが才能だと思っている。
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逆に言うと、
挑戦をためらうのは報われるか、
何か得られるものがあるかが確実ではないから。
当たり前と言えば当たり前なのですが、
なるほどな~と感心するというか、
深いというか。
なぜ人は必ずいつか死ぬと知りながら、
一生懸命生き続けることができるのか。
という問いに近いものがあるかもしれません。
まあ、死ぬことをいつもいつも
意識しているわけではないから、
毎日平然と生きていけると言えばそうなのですが、
そういう意味で、
挑戦に踏み切るその瞬間は
報われる、報われないということについて
意識をしていないのかも。
報われなくても良い、失敗しても良いと
ある意味諦めた瞬間こそ
挑戦の一歩を踏み出す時であり、
報われる、報われないということを意識して
「失敗するかも」と不安に感じたままだと
一歩を踏み出せないのかもしれない。
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最初から努力をしないのは、
そもそも基礎的な能力が向上しないので論外ですが、
羽生善治のように、
何回かに一回はわざと手を抜いて
失敗すれすれの状態にする、
または失敗しても良いと意識し、
少しずつ失敗に慣れて
または失敗しても良いと意識し、
少しずつ失敗に慣れて
それを乗り切る経験を元に精神的なタフさ、
失敗してもリカバリー出来るという自信を持ち、
軽いフットワークで挑戦できるようにしておく。
これが「ごく普通の凡人」が
「人生の中で成功をつかむために必要な準備」
なのではないでしょうか。
小学校、中学校、高校、大学、大学院、就職
色々なプロセスを完ぺきにこなし過ぎると、
完ぺきに出来ないことにぶつかった時に、
「どうすれば良いか分からない」
ということになるのかなーと思います。
完ぺきであることをよりどころとして
人生を計画することはあまりにも無謀だ。
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失敗学のすすめ (講談社文庫)
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