2019年1月7日月曜日

【教育方法論】失敗を良しとする教育の是非(前編)坂本龍馬暗殺に学ぶ

【教育方法論】失敗を良しとする教育の是非(前編)坂本龍馬暗殺に学ぶ


昨日テレビで坂本龍馬暗殺の経緯を「実況」のような形式で検証した番組
「古舘トーキングヒストリー~幕末最大の謎 坂本龍馬暗殺、完全実況~」
が放送されていました。


坂本龍馬と言えば北辰一刀流の達人で、
寺田屋事件では拳銃を乱射して
50人の包囲を突破するという離れ業を成し遂げるような
アクション映画顔負けの「ヒーロー」なのですが、

最後の最後、暗殺されるその時はあっけなくやられてしまいます。

番組の中ではそこまでにいろいろな伏線がありつつ、
さらに大きな要因として

「油断」

というものが紹介されていました。


「油断」というと、
「自信過剰」や「用心に欠ける」等の
ネガティブなイメージになってしまいますが、

もう少しニュートラルな状態で表現すると、
「恐怖を感じない」
または
「心身にの痛みに対して極めて鈍感である」
と言えるかなと思います。


「日本刀を振り回していた時代の人間の通弊?」というと
そうでもないらしい。

同じくこの番組の中で
寺田屋事件で包囲した側の50人の役人は
命を懸けてでも任務を遂げる、
というような人たちではなく、

また、坂本龍馬の出身母体の土佐藩の重役は
龍馬と関わっていると自分の身が危ないと
出来るだけ避けていたというようなエピソードもあり、

「まあ、そりゃ人間だから、時代が多少変わっても、
同じようなもんでしょうな。」

といったところでした。


では、この坂本龍馬の
「油断」
すなわち
「恐怖、痛みに対する鈍感加減」
とは何なのでしょうか。

=======================

坂本龍馬は比較的最近の人物で、
手紙や周辺の人物の日記等で
ある程度詳細に思想や行動が明らかになっていますが、

その特徴から察するに
ADHD(発達障害)だったのだろうと推測される、
というのは有名な話です。

※お断りするまでもありませんが、
 筆者はADHDを蔑視するものではなく、
 人間の特性としてというものがあるという
 事実を述べるのみです。

服装や見た目にとにかく無頓着で、
髪をきれいに結い上げるのが苦手、
手紙を書いた後に筆を袴で絞るクセがあり、
そういう模様が付いていても気にならない。

また当時日本は「藩」という形で
日本の中に「国」がある状態であり、
また現代からは想像ができないような
大きく厳しい身分の隔たりがあるうえで、
各国の高級官僚や国王そのものに
臆面もなく会いに行く。


通常の感覚で言うと、
「拒絶されることの恐怖」
から見た目もそれなりに取り繕うとするだろうし、
またスゴイVIPに対して面会をするのも
気が引けるのではないかなーと思います。


また、同じくこの番組内でも紹介されていたシーンや、
別の坂本龍馬を題材としたドラマでは、
何となく「しつこい」というようなイメージを感じます。
それゆえに相手が押し負かされて計画に巻き込まれる。

これも「拒絶されることの恐怖」に対して
鈍感であるためになせる業かと思います。

北辰一刀流の達人というのも、
もしかすると相手に全く遠慮しないために
稽古の段階で無茶苦茶に腕を振るい、
効率よく技術が向上したことによる結果かも。

=======================

ここまでで何が言いたいかというと、
まず結論として、

「坂本龍馬の特性は先天的なものなので、
 彼をお手本にして
 大きなことを成し遂げようとするのは、
 大多数の一般の人間には不可能。」



人間というのは
根底はネガティブなものです。
なぜなら進化の過程で

ともかくまずネガティブに考え、
あらかじめ危機に対して備えておき、
問題が発生した際はともかく命を保全する。

このような行動パターンで子孫を残し続けてきたため、
ネガティブなDNAが残っていくのは当然です。


時々突然変異で今回のテーマの
坂本龍馬のような人物が登場し、
通常の人間では考えられない歴史的偉業を達成する。

しかしこれは突然変異として生まれた人間の
ほんの一握りでしかないはずです。

なぜなら坂本龍馬は滑り込みセーフで
「こと」を成し遂げられましたが、
たったの31歳で命を落とします。

その他の突然変異の人物たちも、
歴史に名を遺すこともできないまま
冒険の結果「失敗」をしてゼロになってしまう。

結局ネガティブに冒険を避けて、
わずかばかりの生活を保全するほうが
子孫、DNAを残せるという計算になります。

--------------------------

また、さらに一歩踏み込んで考えると、
「それで良いのです」
という結論になります。

というのも、
99.99%の人間は失敗を恐れて、
粛々とまじめに上司の命令を忠実に履行する。
だからこそ社会が成り立つのであって、

世の中が
「どいつもこいつも冒険野郎」
という状態になると、
「大変困ったこと」になるのは
簡単に想像ができます。

ただ、とりあえず現代の教育は
この方針に沿ったものになっているので、
心配しなくても大丈夫ですね。

「えっとー。

 全然面白くねーじゃん!!

 何この当たり前のことを
 整理しただけの記事」



ままま、ちょっとお待ちを。



そうなんですよねっ!

現代教育では
「失敗しないことを良しとする」
教育方針であるのに、

それと矛盾した
「何事にもチャレンジしろ!」
ということを
並行して要求されることがよくあり、

また、抜きんでた成果を残そうと思えば、
頭がおかしいのか?
というような無理なチャレンジを
自発的に行う必要がある。


なんですよね。

じゃあ、それは普通の人間には不可能なのでしょうか?


ふふふ。

実はその方法が無くはない、
と筆者は考えています。

とてもじゃないけど、
通常の学校教育では導入できない方法。

それが今回のタイトル
「失敗を良しとする教育」
なのですが、
具体的な方法論は次回(後編)で。


坂本龍馬はADHDだったから大事をなした説



坂本龍馬の正体 (講談社+α文庫)
坂本龍馬の正体 (講談社+α文庫)




0 件のコメント:

コメントを投稿